原宿ホコ天 → ファッション → 日本のイメージアップ → 世界平和
とうい単純なロジックで申し訳ないのだが。(^_^;
ファッションを通じての相互理解、リスペクトは世界平和につながる。
それは逆の例を考えればすぐに分かる。他国を例に出すまでもなく、戦後からバブルまでの日本を象徴するキーワードはエコノミックアニマルだった。海外からのビジュアルイメージは、サラリーマンのヨレたスーツ姿、満員電車、朝礼、学生服、色は黒、グレー、みんな同じ格好で、何を考えているかわからなくて不気味。そこに個人はいなかった。スターウォーズのストームトルーパーの様な存在だ。個性がない、個人の意見がない、ということは恐怖と結びつきやすい。軍隊と同じだからだ。日本人は何を考えているかわからなくて、怖い。
それをファッションで最初にブレイクしたのは川久保玲だと思う。日本人はクリエイティブの領域でもスゴイということを世界に再認識させた。
次に世界を驚かせたのは1997年から始まった原宿ファッションの爆発だ。色の爆発でもあったので、日本の若者に対するイメージは完全に上書きされた。アニメ、マンガが世界で評価されるようになったのも同時期だ。マンガは浮世絵を、原宿ファッションは着物を思い出させた。ポップカルチャーの誕生だ。
世界からファッションで注目されるということは、実はとても重要なことだ。やろうと思っても簡単にできることではない。その国、国民に対して、良いイメージを持つか、悪いイメージを持つかは世界平和にとって重要なことだが、それにはファッションの役割は大きい。
ワンシーズンで終わる流行だけでは大きなムーブメントにはならない。数年に渡って続くムーブメントが生まれて進化するには、最初の小さな動きが熟成されていくための場が必要なのだ。その場の役割をかつてホコ天が果たした。原宿ホコ天は特別な力を持っている。
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原宿ホコ天が中止になってから20年以上経ってしまった。若者たちにとってホコ天は見たことのない伝説になってしまった。誤解されていることも多いので、再定義しておきたい。
一つは原宿駅前の神宮橋から代々木公園の方へ向かうホコ天だ。竹の子族やバンドブームが起きて、よく映像で取り上げられるのはこのホコ天で、多数の芸能人も生まれた。盛り上がりすぎて、騒音と治安の問題で先に中止になった。
もう一つは神宮橋から反対方向、青山通りまでの表参道全体のホコ天だ。こちらはパフォーマンスや露店は禁止で、散策したり、座ったり、たたずむだけの空間だ。何か催し物があるわけでもない。人々がのんびりできる空間、人と人がコミュニケーションできる空間があっただけなのだ。だがそれが原宿カルチャーにとって重要な存在だった。1998年に中止されたままだ。復活させたいのはこっちの何にもやらないホコ天の方だ。
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良いことばかりではないのも事実だ。
ホコ天にはコストがかかる。車を止めたり、再開させたり、警察の運営費用がかかるし、何か事故が起きるリスクに対しての責任というコストもある。ゴミの問題も大きい。若者が調子に乗ることに対する警戒心もある。一つづつ課題を解決しなければならない。
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数年前の原宿を覚えているだろうか?
ファーストファッションに支配されて、空き店舗だらけだった。今は空き店舗はほとんどない。
そう。原宿は復活してきている。
かつて原宿は日本のファッションのステージだったが、今はアジアのファッションのステージになろうとしている。
原宿の日中人口の過半数は中国やアジアからの観光客になっている。特にここ数ヶ月で中国人観光客のファッションレベルが急速に上がっている。今の原宿ファッションを牽引しているのは中国人観光客と言ってもいいかもしれない。2、30年前に日本で起きたファッションの覚醒が、今中国で起きている。彼らは原宿に買い物に来ているだけでなく、原宿を楽しみに来ている。オシャレして原宿に来て、買い物をして、写真を撮ってSNSにアップする。今の世界的なファッションの変化が中国人にフィットしたということもある。中国からデザイナーも出てきている。数年後には世界が中国ファッションを評価するようになるだろう。以前の日本がそうであったように。
それに対抗しようというのではない。一緒に楽しめばいいし、一緒に新しいファッションを作ればいいと思う。
それだけはアジアの他の場所に持って行かれてはならない。そこが生命線だ。それには今が最後のタイミングかもしれない。
青木正一
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